寄稿1-フィラデルフィア
はじめに
私は2003年冬からアメリカ、フィラデルフィアにあるトマスジェファーソン大学のTranslational Medicine部門に留学しています。設立されてまだ2年余りと歴史が浅い研究室ですがArthur M Feldman教授、Walter Koch教授の指導もと、日夜研究に励んでいます。今回はフィラデルフィアでの生活、大学および研究室について紹介します。今後留学を考えられている先生方に何らかの参考になればと思います。
アメリカ独立の地フィラデルフィア
フィラデルフィアはギリシャ語で「兄弟愛」を意味します。1681年、イギリスのクエーカー教徒がこの街に定着して英国植民地最大の港町を作り繁栄の歴史が始まりました。街は1666年のロンドン大火災を教訓に道幅が広くかつ網目状に作られておりアメリカで最初に計画的に造られた都市と言われています。アメリカ建国の際には独立宣言や憲法制定の舞台となりアメリカの歴史を語るうえで欠かせない街です。しかしかつて繁栄を極めたこの街も経済の中心がニューヨークに移り現在では経済的にはあまり芳しいとはいえませんが大企業もいくつか残存し、全米でも指折りの大都市(人口150万人、全米第5位)です。
現在のフィラデルフィアは観光、学問、そしてビジネスの街です。街中にはアメリカ最古の住宅街、劇場、博物館など名所が数多くあり全米から多くの観光客が訪れます。日本で言えば京都、奈良のような意味合いを持つ街でしょうか。「liberty bell」は独立宣言が発表されたときに打ち鳴らされたと言われ人気のある観光名所のひとつでフィラデルフィアの象徴でもあります。日系企業はほとんどなく日本人ビジネスマンは多くいません。一方、大学は数多くあり私が在籍するトマスジェファーソン大学をはじめ建国の父Benjamin Franklinが設立した名門ペンシルバニア大学、ドレクセル大学、テンプル大学などレベルの高い大学が充実しています。フィラデルフィアに在住する日本人(約1000人)のほとんどがこれらの大学の学生と研究者およびその家族です。
フィラデルフィアでの生活
私は街の中心部(center city)に住んでいます。店が多く、交通の便もよく全く不便さを感じません。中華街もすぐ近くにあり中華料理が量、値段ともに充実しておりスーパーでは日系の食材も安く手に入ります(独身の私にとっては非常に助かっています)。
治安が悪いのでは?とよく聞かれますが街の中心部は一部を除いては問題ありません。1981年からの共和党政権下に政府からの補助金カットのため増税を余儀なくされ予算不足で街は荒廃し、富裕層は別都市へ移住したため街にはホームレスがあふれ治安がかなり悪化したそうです。しかしその後少しずつ治安も改善しているようです。
娯楽関係では4大スポーツチーム(Phillies:野球、Flyers:アイスホッケー、76ers:バスケットボール、Eagles:アメリカンフットボール)がすべて存在し熱狂的なファンが多くいます。美術館、博物館や劇場、コンサートホールも充実し映画「ロッキー」でスタローンが階段を駆け上がりガッツポーズをしたフィラデルフィア美術館やフィラデルフィアオーケストラは世界的にも有名です。
フィラデルフィアはアムトラックの通過点で北にはニューヨーク、南にはボルティモア、ワシントンDCがあり日帰りで旅行も出来ます。フィラデルフィア国際空港からは全米各地、ヨーロッパ、南米などへ直行便が就航しており私もサンフランシスコ、ヨセミテ国立公園、ナイアガラ、アラスカと全米各地を旅行しました。実験後すぐに空港へ列車で移動し(20分ほど)飛行機で旅行に出発し、帰ってきてからもすぐに実験に戻るという過酷なスケジュールが出来るのもcenter cityに住んでるからでしょうか。
トマスジェファーソン大学
トマスジェファーソン大学は1824年にジェファーソン医科大学として設立され、1969年に大学病院、大学院、健康科学部門を統合し総合大学となりました。総合大学といっても学部は医療関係のみです。ペンシルバニア大学と比べるとかなり小さな規模の大学です。キャンパスはcenter cityにありキャンパスビルの多くは以前からあった建物を少しずつ買収し拡張したものですのでいわゆる広いキャンパスとは程遠い印象です。大学病院は病床数1100床で病院へのアクセスが容易なためか年間42万人もの患者さんが受診します。
Arthur Michael Feldman
私のボスArthur Michael Feldman教授は1981年にルイジアナ州立大学医学部を卒業し、その後ボルティモアのジョンホプキンス病院でcardiology fellowとして修練を積み、その後一貫して心不全の研究を行ってきました。1994年にはピッツバーグ大学心臓病学部門の教授となり、心筋特異的に炎症性サイトカインの一つであるTNF-alphaを過剰発現させたマウスを作成し数多くの研究成果を挙げました。心不全研究者のパイオニアの一人です。興味のある方は次の論文をご覧ください。Kubota et al : Cir Res 81 : 627-35, 1997, Feldman et al : JACC 35 : 537-44, 2000.
これまでの実績を評価され2002年より医学部長としてトマスジェファーソン大学に赴任しました。トマスジェファーソン大学は臨床では数多くの業績を挙げているものの研究では今ひとつ遅れをとっているため彼は研究を核として有名大学に匹敵する大学にするという目標を掲げました。
Translational Medicine部門
Feldman教授は大学改革の目玉のひとつとしてTranslational Medicine部門を新たに設立しました。デユーク大学からWalter KochをDirectorとして招きました。彼は心不全、特にbeta-adrenergic signaling系の研究で世界的に有名です(Koch et al : Science 268 : 1350-3, 1995)。さらにangiology, hepatology, hematologyのスペシャリストをassistant professorとしてリクルートしました。設立からわずか2年余りですが各々の研究室では確実にデータが出ているようです。
私はFeldman教授の直属の部下として研究を行っています。研究室のメンバーはChinese-Canadianでassistant professorとして実質研究室を切り盛りするTung O.Chanと私が研究を行い、我々二人以外に数名のテクニシャンがおり国籍はAmerican, Chinese, Taiwanese, Indianと様々で日本人は私のみです。ミーティングは週に一回開かれていますが多忙なFeldman教授とdiscussionできるのは月に一回程度です。動物を使った生理学実験は私しか出来ないためそのほとんどを担当しています。molecular biologyに関してはTung Chanをはじめとしてテクニシャンの中にも精通している人が多く非常に助かっています。九州大学で研究を行っていたころは心機能や生存率など常に臨床的側面から研究成果を検討していましたが現在のメンバーは医学部出身者ではない研究者がほとんどでsignalingなどに興味を持った人が多く発想が全く逆のこともあります。彼らと討論を行うと非常に勉強になります。
Feldman教授は心臓病におけるアデノシン受容体(A1, A2a, A2b, A3受容体)およびAKTの役割に興味を持っており私が前者を、後者をTung O.Chanが担当しています。プロジェクトは始まったばかりで結果をご紹介することはまだ出来ませんが個々のアデノシン受容体サブタイプの心不全における役割を明らかにすることで、選択的アデノシン受容体作動薬を用いた新たな心不全治療戦略の開発が期待できると考えます。
終わりに
設立からまだ二年余りの新しい研究室ですが着実にデータが出て一流の研究室へと発展するでしょう。成長著しい時期に私を受け入れていただいたFeldman教授にとても感謝しています。私の研究が心臓病を患う多くの方の命を救うことが出来たらと思い日々研究に励んでいます。
最後に留学の機会を与えていただいた九州大学循環器内科前教授竹下彰先生、循環器内科現教授砂川賢二先生、循環器内科久保田徹先生に改めて感謝いたします。